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川崎汽船創立100周年;明珍社長、「100年の歴史に誇りを、次の100年へ気概を」
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川崎汽船創立100周年;明珍社長、「100年の歴史に誇りを、次の100年へ気概を」

 川崎汽船が創立100周年を迎えた4月5日、東京本社での記念式典で、明珍幸一代表取締役社長(写真)があいさつした。要旨は次のとおり。

▼当社の母体となった川崎造船所(現川崎重工業)は、1914年の第1次世界大戦の勃発にともない、船腹需要の急増を見越して数多くのストックボートを建造・売却した。
 この戦略は当初は功を奏したが1918年の終戦で、 余剰の船隊を抱えることになったため、自ら船舶を運航することを決断、1919年4月5日に11隻の現物出資で設立した船会社が川崎汽船である。

▼すなわち、当社はストックボートの余剰を逆手に取って誕生したわけで、“K Lineスピリット”の源泉をここに見る思いがする。この設立時から引き継がれてきた“進取の気性”、“自由闊達”、“自主独立”という精神のもと、困難を克服してきた。太平洋戦争では船隊が壊滅的な打撃を受け、多くの船員が犠牲となったが、事業を見事に復興した。

▼日本の高度経済成長期には、油槽船の船隊整備や鉄鉱石/石炭/木材/穀物などの輸送に特化した専用船の建造を積極的に進めた。例えば、輸出は自動車/輸入はバルク貨物を輸送する、在来荷役のカーバルカーが主流だった業界で、柔軟な発想により当社は1970年に日本初の自動車専用船を建造した。
 1983年に日本籍初のLNG船により、-162℃でLNGを海上輸送するオペレーションを初めて担い、86年には北米大陸で邦船社初のコンテナ2段積列車(DST)による海陸一貫輸送を開始するなど、進取の気性を発揮して“われ先汽船”と呼ばれるほど、常に業界をリードする取り組みを続けてきた。

▼海運業界には、オイルショック/プラザ合意による円高/アジア通貨危機/リーマンショック/船舶の世界的な供給過剰、などの荒波が押し寄せたが、全社一丸となって乗り越えてきた。

▼コンテナ船事業は邦船2社と事業統合したONEが昨年4月から営業を開始し、国内港湾運送では上組と協業するなど“選択と集中”を進めている。
 今後も柔軟な発想とチャレンジ精神を発揮し、強いチームワークで再び、われ先汽船と呼ばれるよう進取の気性を胸に、
スピード感を持って企業価値の向上に全力を尽くして行こう。

▼グループ役職員の皆とともに、新生K Lineの一員としての誇りを胸に、次の100年の歴史を作っていく気概を示すことをここに表明する。

Last Updated : 2019/04/12